Kasumi香住について
香住は、兵庫県の最北端にある、小さな港町です。
派手さはなく、アクセスも決して便利とは言えません。
けれど、ここには、静かな時間と、深い記憶が息づいています。
この町に足を運んでくださる方々は、何かのついでではなく、ここで過ごすことを目的に来てくださいます。
だからこそ、私たちは思うのです。
この土地の魅力が、滞在の中で静かに伝わるように。風景と時間が、感性にそっと響くように。
Sanatonとして、心を込めてお迎えしたいと。
そして、香住という町について、少しだけお話しさせてください。
記憶の地形と、海に寄り添う町
香住の地には、約7000年前の縄文の昔から人の営みがありました。
海と山に抱かれたこの風土は、遥か昔から命をつなぐ場であったことを、静かに物語っています。
この町の海岸線は、山地が沈んで生まれたリアス式海岸。
複雑な入り江と岬は、日本海の季節風を遮り、天然の良港として船を迎えてきました。
江戸時代には北前船が風を待ち、今子浦や柴山湾には、岩に残る綱の痕跡や「めぐり」と呼ばれる穴が、航海の記憶をそっと伝えています。
香美町は山陰海岸ジオパークにも指定され、
海と山が織りなす地形と、その地形が育んだ暮らしが、今も町の風景を形づくっています。
この地形と記憶の重なりが、香住という町の静けさと深さをつくっているのです。
漁師町の鼓動
香住の漁港は、昭和初期に整備が始まり、以来、海とともにある町の暮らしを静かに支えてきました。
昭和の最盛期には、サバやカニの水揚げで港は賑わい、夜の海にはイカ釣り船の漁火が揺れていました。
その風景は、今も町の記憶の中に息づいています。
時代とともに漁業のかたちは変わり、漁獲量の減少や後継者不足といった課題もあります。
それでも港は、海の恵みを受け止め、暮らしを支え続けています。
魚を獲ることも、捌くことも、誰かのもとへ届けることも、
この町では“特別な仕事”ではなく、日々の暮らしの中にある、あたりまえの営みです。
海の恵みを受け取り、無駄なく使い、季節がめぐるたびに、また新しい命を迎える。
そんな静かな循環が、この町の時間をつくっています。
民宿文化と、もてなしの記憶
香住には、海辺の町ならではの民宿文化があります。
それは、観光地の宿というよりも、**暮らしの延長にある“迎え入れる場”**としての宿です。
町には約40軒以上の民宿が点在し、
それぞれが海のそばで、季節の恵みとともに人を迎え入れています。
かつて漁師の家が客を泊め、その日の水揚げで料理をつくり、家族のようにもてなす——
そんな営みが、香住の宿の原型となりました。
民宿という言葉には、「民の家に泊まる」という意味だけでなく、その土地の暮らしに触れるという、静かな願いが込められています。
香住の宿には、海の匂い、台所の音、干物の並ぶ縁側、そして、季節の魚を囲む食卓があります。
それは、ただの宿泊ではなく、土地の記憶に触れる体験であり、人の手ざわりに包まれる時間でもあります。
静かな山里と、和牛の源流
香美町の山間、小代(おじろ)地区には、人と自然が寄り添いながら生きてきた時間があります。
傾斜地に広がる棚田は、季節を受け入れ、水を引き、土を耕すことで育まれてきました。
その風景は、人の手と知恵が織りなす“生きた地形”です。
この地では、牛も家族のように暮らしていました。
田畑を耕す但馬牛は、囲炉裏のそばで稲わらを煮て与えられ、人と同じ屋根の下で眠っていました。
小代では、純血の但馬牛を守り続け、名牛「田尻号」を生んだ地として、
“和牛の聖地”と呼ばれるようになりました。
棚田と牛と人。その三つが織りなす暮らしは、山の厳しさと豊かさを受け入れながら、
今も静かに続いています。
香住鶴と、手間のかかる美しさ
香住鶴は享保十年(1725年)創業。
300年近く、香住の水と空気とともに酒を醸してきました。
蔵が守るのは、生酛(きもと)造りと山廃酛(やまはいもと)仕込み。
自然の力を活かす伝統製法で、時間と手間を惜しまず、旨みとまろやかさを育てています。
昭和42年、八代目・福本幹夫が山廃酛の復活に踏み切り、平成11年には九代目・福本芳夫が生酛造りへ挑戦。
効率よりも、味と哲学を大切にするものづくりの姿勢が息づいています。
仕込み水は氷ノ山の伏流水。清冽な軟水が、酒にやわらかな味わいをもたらします。
香住鶴の酒は、季節の魚や山の恵みとともに食卓に寄り添い、
Sanatonのもてなしにも静かに彩りを添えています。
三田浜という場所の層
香住区下浜、三田浜。
この地には、海と人のあいだに静かに積み重ねられてきた時間があります。
三田浜海岸は、山陰海岸ジオパークにも指定される、断崖や奇岩、洞門が連なる地形美の地。
日本海の風と波が削り出したその風景は、まるで地球の鼓動のように、訪れる人の感覚を揺さぶります。
この地にはまた、古墳時代のトチ三田遺跡が残されています。
散布地として確認されたこの遺跡は、かつて人が暮らし、海とともに生きていた痕跡を静かに伝えています。
さらに、三田浜には**新第三紀(約2,000万年前)の地層に刻まれた「下浜の流痕」**が残されており、
日本列島の形成期に河川が刻んだ痕跡として、兵庫県の史跡名勝天然記念物にも指定されています。
それは、地球の記憶が地層に残した、静かな証です。
この場所には、地形の記憶と人の営みが折り重なっています。
海水浴場としての賑わいの裏に、遥かな時間が流れている。
Sanatonがこの地に根を下ろすことは、
そうした記憶の層に、そっと寄り添うことでもあります。
三田浜という場所は、
風景だけでなく、地球と人の歴史が交差する静かな舞台なのです。